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おとずれ様。(怪談)

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nao

夏の夜がくると、いつも思い出さずにはいられない話がある。蒸し暑くて寝苦しい夜、窓を開けても湿った空気がまとわりつくようなあの季節。田舎の静寂の中で、一筋の風が葉を揺らす音がかすかに聞こえるだけの夜。虫の鳴き声が遠くで響き、月明かりが古い木造の家を照らすと、そこにはただ静けさと暗闇が広がっていた。

私の故郷には古い木造の家が多く、田舎ならではの静けさが漂っている。私が子供の頃、その中でも一番古い家に住んでいた。家の中は、どこかしらひんやりとしていて、昼間でも薄暗い感じがした。

この家には一つの奇妙な噂があった。それは、「おとずれ様」の話だ。その地域では誰もが知っているこの話は、私たち子供にとってはお決まりの肝試しのネタだった。その噂によると、夜になると誰かが家の中を歩き回り、時には寝室にまで忍び込むというのだ。しかし、その「誰か」は決して姿を現さない。足音だけが聞こえるのだ。

私がその「おとずれ様」に初めて遭遇したのは、小学校5年生の夏休みの夜だった。その日は特に蒸し暑く、なかなか寝付けなかった。ベッドの上でゴロゴロしていると、廊下の方から聞こえてきた音に耳を傾けた。ギシ、ギシ、という床が軋む音だった。家は古いので、木が動く音だと思い込もうとしたが、その音はまるで誰かが歩いているように一定のリズムを刻んでいた。

心臓がドキドキしながらも、恐る恐る布団をかぶり、音が遠ざかるのを待った。数分後、音は消えたかのように静かになった。ほっとして目を閉じかけたその瞬間、今度は寝室のドアがゆっくりと開く音が聞こえた。目を開けると、そこには誰もいない。だが、ドアは確かに開いていた。

次の日、朝食の時に母にその話をした。母は笑って、「古い家だから、そんなこともあるわよ」と軽く受け流した。だが、私は確信していた。何かがおかしい、と。

それから数日後、また同じような体験をした。今度は、私の部屋ではなく、廊下で音がした。真夜中に目が覚めると、床が軋む音とともに、誰かが廊下を歩いているようだった。音は徐々に近づき、やがて私の部屋の前で止まった。ドアの向こう側には何もないのに、何かの存在感が感じられた。

私は恐怖に駆られ、思わずベッドの中で震えた。その後も、同じような体験が何度か続いた。ある夜、勇気を振り絞ってドアを開けてみたが、やはり誰もいなかった。しかし、その瞬間、冷たい風が私の顔に当たった。まるで誰かがすぐそばにいるかのように。

私の友人たちにこの話をすると、みんな怖がりながらも興味津々で聞いてくれた。ある日、友人の一人が言った。「一緒にその家に泊まり込んで、確かめようじゃないか」と。私たちは肝試しの気持ちで、夜更かしすることに決めた。

その夜、友人たちと一緒に私の部屋で過ごしていると、やはり例の音が聞こえてきた。最初は皆、冗談だと思って笑っていたが、音が次第に近づいてくるにつれ、笑いは凍りついた。音は部屋の前で止まり、ドアがゆっくりと開き始めた。私たちは息を呑んでその光景を見つめた。

ドアが完全に開いた時、そこには何もなかった。だが、冷たい風が吹き込み、私たちは一斉に悲鳴を上げた。その瞬間、何かが私たちの間を通り抜けたような気がした。まるで見えない何かがそこにいたかのように。

その後、私たちは一目散に部屋を飛び出し、リビングに集まった。心臓がバクバクと鳴り、みんな無言で互いを見つめ合った。その晩は誰も眠れず、夜が明けるのを待った。

翌朝、私たちはこの経験を家族に話した。父は驚きつつも「そんなことが本当にあるのか」と半信半疑だった。しかし、母は真剣な顔つきで「この家には昔からそういう話があるのよ」と言った。どうやら私たちの体験は、噂以上の現実だったようだ。

その後、私はその家を離れて都会に引っ越した。新しい家では、「おとずれ様」の様なことは一度もなかった。しかし、今でも時折、あの夜のことを思い出すと、背筋がゾクッとする。そして、あの家に帰るたびに、ふと耳を澄ましてしまうのだ。もしかしたら、またあの音が聞こえるのではないかと。

あの夜以来、私は「おとずれ様」のことを忘れたことはありませんでした。新しい生活に慣れながらも、心の奥底にはいつもあの恐怖が残っていました。特に、夜になるとその思い出が鮮明によみがえり、眠れないこともありました。

大学に進学してからも、友人たちにその話をすると皆興味津々で聞いてくれました。ある日、大学のサークル仲間と飲み会をしている時に、再びその話題になりました。その場にいた一人の友人、山田が言いました。「その家に再訪して、もう一度確かめてみようぜ!」と。酔った勢いもあり、私はその提案に乗ることにしました。

数週間後の週末、私たちは故郷に向かいました。家に着くと、懐かしい風景が広がっていました。両親に「友人たちと泊まりに来た」と伝えると、母は少し心配そうな顔をしましたが、特に反対はしませんでした。父も「気をつけてな」と言い、私たちを見送りました。

その夜、私たちは再びあの部屋に集まりました。懐中電灯やカメラを持ち込み、まるで肝試しのように準備を整えました。夜が更けるにつれ、皆が緊張感を高めていくのが分かりました。

深夜、やはり例の音が聞こえてきました。ギシ、ギシ、と床が軋む音。友人たちは一瞬静まり返り、全員が耳を澄ませました。音は徐々に近づき、部屋の前で止まりました。ドアがゆっくりと開き始めた瞬間、山田が懐中電灯を照らしました。しかし、そこには何も見えませんでした。

その時、カメラを構えていた友人の一人が叫びました。「見えた!カメラに映ってる!」と。皆がそのカメラを覗き込みました。

そこには、うっすらとした人影のようなものが映っていました。肉眼では見えないのに、カメラには確かに何かが写っていたのです。

その瞬間、冷たい風が部屋の中を吹き抜けました。まるで誰かが私たちの間を通り過ぎたかのようでした。恐怖に駆られた私たちは一斉に叫び声を上げ、部屋を飛び出しました。リビングに集まり、息を整えると、再びカメラの映像を確認しました。そこには確かに見えない訪問者の姿が映っていました。

次の日、私たちはその映像を家族に見せました。父は驚き、母は涙を浮かべながら「これが本当にあったことなのね」と呟きました。家族全員がその映像を見て、あの噂が単なる作り話ではなかったことを確信しました。

私たちはその後もその家に何度か訪れましたが、同じような体験をすることはありませんでした。しかし、あの一夜の出来事は私たち全員に強烈な印象を残しました。「おとずれ様」は確かに存在し、私たちに何かを伝えようとしていたのかもしれません。

数年が経ち、私は社会人となり忙しい日々を送っていました。しかし、あの夜の記憶は今でも鮮明に残っています。そして、ふとした瞬間に耳を澄ませると、あの音が聞こえるような気がするのです。

新しい建物の住人たちは、今夜も何も知らずに眠りについているでしょう。しかし、私たちは知っています。あの「おとずれ様」は、いつでもどこでも、私たちのすぐそばにいるのだと。

それからしばらくして、私は友人たちと再会し、またあの夜の話をする機会がありました。みんな口々に「本当にあれは怖かった」と話し始めました。その時、山田がふと思い出したように言いました。「あの映像をネットにアップしたら、どうなるんだろう?」

興味本位で、その映像を動画共有サイトにアップロードすることにしました。最初はあまり再生されることはありませんでしたが、数日後には再生回数が急増し、コメント欄には様々な意見が書き込まれるようになりました。中には、「これは本物だ」とか、「こんな映像を見たのは初めてだ」といった声もありました。

ある日、私たちはその映像についてもっと詳しく調べてみることにしました。専門家や霊能者に見てもらい、その意見を聞くことにしました。何人かの専門家は、映像に映っている影を分析し、確かに異常な現象が映し出されていると結論づけました。一方で、霊能者たちは「これはとても強い霊的存在であり、この家には特別な何かが宿っている」と口を揃えました。

その話を聞いて、私たちはさらに興味を持ちました。そして、ある霊能者が提案しました。「その家に再び行って、直接その場所で儀式を行い、『おとずれ様』と対話を試みてはどうか」と。

私たちは再び故郷に向かい、霊能者と共にあの家に入りました。新しい建物の住人たちには事情を説明し、許可を得て夜中にその家を訪れました。霊能者は様々な道具を持ち込み、慎重に儀式の準備を始めました。

夜が更け、儀式が始まりました。霊能者はお経を唱え、部屋の中には厳かな雰囲気が漂いました。私たちは静かにその様子を見守りました。すると、再びあの音が聞こえてきました。ギシ、ギシ、と床が軋む音。霊能者は目を閉じ、集中しながら言いました。

「おとずれ様がここにいる。何かを伝えようとしている」

その瞬間、部屋の中の温度が急激に下がり、冷たい風が吹き抜けました。霊能者はさらにお経を唱え続け、私たちは恐怖に震えながらもその場を離れませんでした。やがて、霊能者は静かに言いました。「おとずれ様は、この家に何か重要なものを隠している。

それを見つければ、安らかに成仏できるかもしれない」

私たちは霊能者の指示に従い、家の中を捜索しました。そして、古いタンスの奥に一冊の古びた日記を見つけました。その日記には、この家に住んでいた初代の住人の記録が綴られていました。日記を読み進めると、家族の歴史や苦難、そして戦争によって失われた愛する人についての記述がありました。

最も衝撃的だったのは、その住人が亡くなった後も、この家に留まり続けているということでした。彼は、家族を守り続けるために霊となり、「おとずれ様」として存在し続けているのです。

私たちは日記を慎重に持ち帰り、霊能者に見せました。霊能者は「これが『おとずれ様』の未練だ。この日記を適切に供養すれば、彼は成仏できるだろう」と言いました。

その後、私たちは地域の寺に依頼し、日記の供養を行いました。儀式が終わると、不思議とあの音はもう聞こえなくなりました。

『おとずれ様』は、ようやく安らかな眠りについたのです。

それ以来、あの家には何の異常も起きていません。新しい住人たちは平和に暮らしています。しかし、私たちはあの夜の出来事を忘れずに心に留めています。『おとずれ様』が私たちに伝えたかったこと、それは家族の絆と愛の深さだったのかもしれません。

そして、今でも時折思い出すと、背筋がゾクッとするのです。『おとずれ様』が私たちの心に残したその存在感は、永遠に消えることはないでしょう。

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