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『ただ、もう一度 会いたくて──盲導犬リオと家族の奇跡の物語』

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目次
🐾第1章 :その犬は、家族だった 🐾第2章 :震災が、すべてを引き裂いた 🐾第3章 :リオを探して──残された家族の祈り 🐾第4章 :野犬と呼ばれたその犬に、どこか見覚えがあった 🐾第5章 :もう一度だけ、名前を呼んでみた 🐾第6章 :変わり果てた姿の奥に、変わらぬ“あの子”がいた 🐾第7章 :家族の“ありがとう”が、リオに届いた夜 🐾第8章 :父の静かな旅立ちと、“そのあとの朝” 🐾第9章 :子どもたちが受け取った“最後の贈りもの” 🐾第10章 :リオとお父さんが教えてくれた“歩く力” 🐾あとがき :「姿は消えても、絆は消えない」

あの犬がリオだなんて、誰が信じるだろう。

骨が浮き出た背中。毛並みは泥にまみれ、目つきも鋭くなっていた。

子どもたちが怖がって逃げ出すほどの、野良犬のような姿だった。

けれど──

私たちは、確かに知っていた。

あの目だけは、ずっと変わらなかった。

どれだけ姿が変わっても、名前を呼べば、しっぽがふるえていた。

それが、私たちのリオだった。

震災のあの日、引き裂かれるように別れて、

何年もの間、絶望の中で生きてきた。

だけど、リオは生きていた。

傷つきながらも、私たちを探していた。

そして──

再び出会ったその日から、

私たちの“再出発”が始まったのだ。

傷つきながらも、私たちを探していた           ※以下イメージ画像

🐾第1章

:その犬は、家族だった

===============

「お父さん、こっちだよ」

娘の美咲が、私の手をそっと握る。

私は白杖を軽く持ちながら、その手に導かれるように歩いた。

穏やかな春の風が、頬をなでていく。耳を澄ませば、草の上を踏む柔らかな足音──

そのすぐそばには、いつもあの子がいた。

リオ──

私のパートナーであり、我が家の一員である盲導犬だ。

リオは小柄な犬だった。

大型犬のような威圧感はなく、その分、親しみやすい雰囲気があった。

全身の毛は黒く、どこか柔らかい艶があって、顔つきは賢そうなのに、時々おっちょこちょいな表情も見せる。

見た目だけでなく性格も穏やかで、誰にでもやさしく接する子だった。

盲導犬としての訓練は一流。

信号待ちや階段、狭い道でも正確に私を導いてくれる。

でもその完璧さの裏にある「家族愛」が、リオの本当の魅力だったと思う。

うちの家族は、ちょっとにぎやかだ。

私と妻の和子、高校生の長女・美咲、小学生の長男・航太。

それに、和子の両親──つまり私の義父母も一緒に暮らしている。

三世代、六人と一匹の生活だ。

祖父は定年後に家庭菜園を楽しみ、祖母は和菓子作りが得意。

家の中には、いつも土と甘い香りが混じった空気が流れていた。

そこにリオのしっぽが、ぱたぱたと音を立てる。

航太は、リオと毎朝かけっこをするのが日課だった。

「パパの目だけど、僕の友だちでもあるんだよ」と言って、リオの背中をなでていた。

美咲は勉強の合間にリオと静かに寄り添い、時には悩みごとを耳元でそっと話していた。

リオは、何も言わずに、ただ黙って聞いていた。

和子もまた、リオに信頼を寄せていた。

忙しい家事の合間、玄関の前で小さな声でこう言うことがあった。

「今日も、お父さんをよろしくね」

そのたびにリオは、一歩前へ進み、キュッと短く鳴いてみせる。

まるで「任せて」と言っているようだった。

私自身、視覚を失ってからというもの、世界が音と匂いだけのものになった。

それは想像以上に孤独だった。

自分の足音しか聞こえない道、風の音だけが響く夜──

そんなとき、リオの存在が、どれほど私を救ってくれたことか。

ただの盲導犬ではなかった。

「一緒に生きてくれる誰か」が、そこにいてくれるということが、

人としての誇りや勇気を少しずつ取り戻させてくれたのだ。

家族全員がリオに感謝していた。

それはリオ自身にも、きっと伝わっていたと思う。

だって、どんなに疲れて帰ってきても、リオはいつも玄関で待っていてくれたから。

しっぽをふって、体をすり寄せて、

私の手に鼻先をそっと当てる──

それが、リオ流の「おかえりなさい」だった。

夕暮れ時、縁側に家族みんなが集まって、麦茶を飲みながら一日を振り返る時間が好きだった。

その足元には、リオが静かに横たわり、ときおり目を細めながら私たちの声に耳を傾けていた。

あれは、本当にあたたかな日々だった。

私たちにとって、リオは「必要な存在」ではなく、「かけがえのない家族」だった。

──でも。

その日常が、あまりにも突然に、音を立てて崩れていくことになるなんて。

あまりにも突然に、音を立てて崩れていくことになるなんて

🐾第2章

:震災が、すべてを引き裂いた

==================

その日は、曇っていた。

朝からどこか重たい空気が流れていて、家の中も少し静かだった。

リオは珍しく玄関の方を向いて、じっと外を見ていた。

まるで何かを感じ取っているかのように。

「今日は雨になるかもね」

祖母がそんなことをつぶやいたのを最後に、

時計の針が午後二時を過ぎたあたりで、それは突然やってきた。

地鳴りのような音。

そのあと、ガタガタと家全体が揺れた。

どん、と背中を突き上げられたような衝撃に、思わず私は床に手をついた。

「地震だ!」

祖父の声が響いた次の瞬間、

棚の上のものが音を立てて崩れ落ち、食器が割れる音が連続して響いた。

航太の泣き声、美咲の叫び、和子の悲鳴。

頭が混乱する中、私は必死にリオの名前を呼んだ。

「リオ! リオ、どこだ!」

だが、応答はなかった。

壁が崩れ、天井からは埃が降りかかってくる。

祖父が私の腕を強く引っ張り、外に出るよう促した。

和子も、子どもたちの手を引き、必死に叫んでいた。

「早く! 外へ!」

混乱の中、私たちはかろうじて家の外へ飛び出した。

庭の地面も大きく波打っていて、足元が定まらない。

ようやく落ち着きを取り戻したのは、家から数十メートル離れた広場だった。

そこに立ち尽くしたまま、私は叫んだ。

「リオは……リオはどこだ……!」

どこを探しても、リオの姿はなかった。

リードも、首輪も、何一つ残っていない。

「もしかして、家の中に……」

美咲が震える声で言った。

だが、その家はすでに半壊しており、中に入るのは危険すぎた。

消防団の人が到着してからも、家の中を確認することはできなかった。

リオがどこへ行ったのか、それは誰にも分からなかった。

誰かが連れて行ったのか、パニックになって外へ飛び出したのか。

それとも、瓦礫の下に……。

「大丈夫、きっと生きてるよ。あの子、強いから」

和子はそう言ってくれたけれど、

私の胸の中には、信じたくない不安だけが残った。

あれから何日も、何週間も、リオの姿を探し続けた。

避難所、近所の公園、道路沿い、崩れた川沿いの道……

目が見えない私に代わって、家族が足を棒にして探してくれた。

だが、リオの手がかりは何一つ見つからなかった。

ニュースでは「被災動物の保護」が報道されていた。

保健所に収容される犬たち。中には、飼い主が現れずに処分される子もいるという。

私はその言葉に、喉の奥が凍るような思いだった。

「リオ……無事でいてくれ……」

私はただ、何度もそうつぶやくしかなかった。

あの子が、どこかでまだ生きていてくれることだけを願いながら。

そして、震災から一ヶ月が経ったある日。

市の判断により、我が家は全壊と認定され、

私たちは仮設住宅への移住を余儀なくされた。

新しい住まいにベッドを買う余裕もなく、

布団一枚を家族6人で分け合いながらの生活が始まった。

心のどこかにずっと、リオの居場所だけが空白のまま、ぽっかりと空いていた。

夜──

静かな仮設住宅の中で、私は何度も夢を見た。

リオが、泥だらけになって、しっぽをふって近づいてくる夢。

でも目が覚めると、そこには誰もいない。

ただ、空気だけがどこか懐かしい匂いを含んでいた。

家族6人で分け合いながらの生活が始まった

🐾第3章

:リオを探して──残された家族の祈り

======================

リオを見失ってからの日々は、

心のどこかに深くて黒い穴があいたままのようだった。

仮設住宅に移り住んでからも、あの子の名前が家族の会話に出ない日はなかった。

ふとした瞬間に思い出しては、誰かが口を閉じる。

誰もが、胸の奥で同じ気持ちを抱えていた。

「ごめんなさいね。リオのこと……」

祖母が食器を洗いながら、ぽつりとつぶやく。

台所に立つ姿は震災前と変わらなかったけれど、目の奥の色だけは違っていた。

どこか、いつも遠くを見つめているような顔だった。

「謝るのは、私の方です。守れなかったのは……私ですから」

そう返したとき、私は不思議と涙が出なかった。

心のどこかが、すでに凍りついたように、何も感じなくなっていたのかもしれない。

だが──

子どもたちは違った。

娘の美咲は、毎晩のようにスケッチブックに絵を描いた。

リオと一緒に歩く父の背中。

しっぽをふるリオ。

航太がボールを投げて、リオが跳びかかるシーン。

「この絵、いつかリオに見せたいんだ」

そう言う美咲の声は、どこか大人びていた。

震災を経験してから、彼女はぐんと背が伸びた気がする。

でも、その瞳の奥には、年齢には見合わない深い祈りが宿っていた。

航太はというと、

ランドセルにリオの写真を忍ばせて登校していた。

「だって、いつ戻ってくるかわかんないでしょ?

そのときに“知らない”って言われたらイヤだもん」

そう言って、小さな写真にほこりがかぶらないように、いつもそっとティッシュをかぶせていた。

子どもたちが、あんなにもリオを想っている。

それが、どれほど私たち大人の心を支えてくれたか、言葉では言い表せない。

和子は毎朝、神棚に手を合わせていた。

「どうか、リオがどこかで生きていてくれますように」

それが、彼女の毎朝の口ぐせになった。

私はといえば、

夢と現実の境が分からないような夜をいくつも過ごしていた。

音のない世界の中で、

誰かの気配だけを感じて目を覚ます。

リオが近くにいるような気がして、

白杖に手を伸ばすのだが、そこには何もない。

ふと、耳をすますと、

子どもたちの寝息が、かすかに聞こえてきた。

それにまじって、

昔、リオが床に寝そべっていたときの小さな吐息──

そんな幻聴すら聞こえてくる始末だった。

「私は、壊れてしまったのかもしれない」

ある夜、私は和子にそうこぼした。

すると彼女は、そっと私の手を取り、

「いいえ、壊れてなんかいないわ。祈ってるだけよ」と言った。

祈る。

そう、これは祈りに近い。

見えなくなってからというもの、

私は「信じる」ということが何よりも難しいと感じていた。

だが、リオを思い出すたび、

不思議とあたたかいものが胸に灯る。

思い返してみれば、

リオが最初に私の手に鼻先を寄せたあの日。

その温度が、今も手のひらに残っている気がする。

──そしてある日。

近所で犬が目撃された、という噂が立った。

「すごく痩せてて、

でも人の前ではしっぽをふるような……ちょっと変な犬だったよ」

美咲がその話を持ち帰ってきたとき、

家族の空気が、わずかに揺れた。

「場所は?」

「河原の近くの公園。水飲み場のそば」

その夜、私は夢を見た。

夢の中で、リオが私の前に座っていた。

顔は泥にまみれ、目の下にはクマのような影ができていたけれど、

その目だけは、あの日のままだった。

私は、そっと名前を呼んだ。

「……リオ」

すると、リオのしっぽが、ぱたん、ぱたんと音を立てた。

目が覚めたとき、

私はなぜか確信していた。

──リオは、まだ生きている。

しかも、きっと私たちを探している。

──リオは、私たちを探している

🐾第4章

:野犬と呼ばれたその犬に、どこか見覚えがあった

=============================

「あの犬、また来てるわよ」

近所の主婦が、ため息まじりに言った。

仮設住宅の裏手に広がる空き地。

そこに、数日前から一匹の犬が現れるようになった。

痩せ細り、骨ばった背中。

毛は泥とほこりにまみれ、しっぽも不規則に左右に揺れている。

子どもたちは最初、その犬を怖がって避けていた。

「変な顔の犬」「目が怖い」「噛みつかれるかも」

そんな声が聞こえてきた。

私も最初、その犬の足音を聞いただけで、

本能的に「近づいてはいけない」と感じた。

足取りは不安定で、息は荒く、まるで何かから逃げてきた動物のようだった。

だが──

ある日、美咲がぽつりと言った。

「……あの子、リオに似てる」

私は耳を疑った。

「リオ? あの野犬が?」

「うん……顔じゃなくて、目がね。あのときと同じだった気がするの」

私は、リオの目を思い出した。

賢く、やさしく、どこか人間の言葉を理解しているような目。

でも、まさか。

あれから、もう何年も経っている。

家族は皆、少しずつ日常を取り戻し、

リオのことも、心の奥深くにしまい込むようになっていた。

「きっと、似た犬だったんだよ」

そう言い聞かせながらも、

私の中に小さな違和感が残った。

その夜、窓を少しだけ開けていたら、

風にのって微かな気配が流れ込んできた。

土のにおい。草のこすれる音。

そして、遠くで聞こえた、ひとつの足音。

私はそっと耳を澄ませた。

──コツ、コツ……

四つ足で歩く音。どこか、懐かしいリズム。

あの音は、リオの歩き方によく似ていた。

左右の前足を、わずかに内側に向けて着地する、独特なクセ。

盲導犬訓練時代からずっと変わらなかった、あの歩き方。

「和子……あの犬、まだ近くにいるかい?」

私が聞くと、妻は少しだけ間を置いて答えた。

「ええ。今夜も、給湯器の裏で寝てるみたい。……誰も追い払えないのよ」

次の日の朝、航太が声をあげた。

「ママ、あの犬、俺のこと見てたよ」

「見てた?」

「うん、目が合った。でも、逃げなかった。しっぽも……ちょっとだけ動いてた」

その言葉を聞いて、私はふと息をのんだ。

それはリオの癖だった。

人の目をまっすぐ見つめ、

初めて会った相手に対しても、しっぽを少しだけ振る。

警戒と親愛の間で揺れる、あの独特の仕草。

それでも私は、心のどこかで否定していた。

「まさか……そんな偶然があるわけない」

「希望を持つほど、あとでつらくなる」

「もう、リオは……」

でも、体は嘘をつかなかった。

その夜、私は夢を見た。

ぼろぼろの毛並みのまま、私のそばにすり寄ってきたリオが、

静かにしっぽを振って、私の手に鼻をすり寄せてきた。

何も言わず、ただ静かに、息をしていた。

──あれは夢ではなく、記憶だったのかもしれない。

翌朝。

私は白杖を手にし、子どもたちに付き添われながら空き地に向かった。

和子が声をかけてくれる。

「今日は、近くの電柱の下にいたわ。……目が合ったの」

仮設住宅のフェンスの向こう、電柱のかげに隠れるようにして、

その犬は、こちらをじっと見ていた。

遠くからでも分かる。

泥まみれで、背骨が浮き出し、耳も片方垂れてしまっている。

とても、あの頃の姿ではない。

でも、どうしてだろう。

視えないはずの私の胸の奥で、なにかがはっきりと確信していた。

──この犬は、リオだ。

目が、そう言っていた。

声が出そうになるのをこらえて、私は立ち止まった。

するとその犬は、わずかに首をかしげたあと、

前足を一歩、こちらに踏み出した。

ほんの一歩だけ。

でもその足取りに、私は覚えがあった。

家族の誰もが声を出せずに、ただその場に立ち尽くしていた。

子どもたちも、和子も、祖母も、

それぞれの想いを胸に、黙って犬を見つめていた。

そして犬は、しばらく私たちを見つめたあと、

また静かに草むらに身を隠した。

戻っていったのだ。

けれど──

私には分かっていた。

あの犬は、私たちの家を探している。

誰かを探している。

きっと、何年もかけて、この町にたどり着いたのだ。

姿はすっかり変わってしまったけれど、

その心の奥に、確かにあの子の光が宿っている。

──あの犬がリオなら、

あの目に宿る灯を、私たちは決して見逃してはいけない。

何年もかけて、この町にたどり着いた

🐾第5章

:もう一度だけ、名前を呼んでみた

====================

「……リオ」

美咲が、そうつぶやいたのは、誰もいない夕暮れの空き地だった。

学校から帰ると、彼女は毎日のように裏手の給湯器のそばへ足を運んだ。

例の犬が、そこにうずくまっていると知ってからというもの、

何も言わず、そっと様子を見るのが日課になっていた。

「ほら、いた……」

その日も、犬はいた。

痩せこけた体を丸めて、土の上で目を閉じている。

毛はぼさぼさで、遠くから見れば野良犬そのもの。

けれど、近くで見ると、その目だけがまるで別の生き物のように静かだった。

美咲は、ポケットから取り出したクッキーをそっと地面に置く。

以前、祖母がくれた手作りのもの。

それを割って、犬のそばに置いた。

犬は、最初は身動きひとつしなかった。

けれど、しばらくして鼻をぴくりと動かし、ゆっくりと目を開けた。

そして──

ほんの少しだけ、しっぽを動かした。

「……リオ、なの?」

美咲は、涙があふれそうになるのをこらえながら、もう一度だけ呼んだ。

「リオ……」

犬は顔を上げた。

目が合った。

その瞬間、美咲は息をのんだ。

それは確かに、記憶の中のあの子の目だった。

「どうしたんだ、美咲。顔が赤いぞ?」

夕飯どき、私が声をかけると、

美咲は少し戸惑いながらも、ぽつりと答えた。

「お父さん……もしかしたら、かもしれないんだけど」

彼女は昼間の出来事を話してくれた。

犬の目のこと、しっぽの反応、名前に反応したように見えたこと。

「確信はない。でも、心がね、知ってるって言ってるの」

私は、何も言えなかった。

心が知っている。

その言葉に、私は覚えがあった。

目が見えなくなってから、

私は“感じること”に頼って生きてきた。

声の震え、足音の速さ、風の流れ。

人の心の機微も、視覚以上に敏感に感じ取るようになっていた。

だからこそ、美咲のその言葉が、嘘じゃないとわかった。

「……一度だけ、私も呼んでみたい」

翌朝、私は和子と美咲に手を引かれ、例の空き地へと向かった。

白杖を握る手に、わずかな震えがあった。

リオに会いたい。

でも違ったら、どうしよう──そんな恐怖もあった。

給湯器の裏、冷たい地面に、今日も犬はいた。

ただじっと、丸まっていた。

それでも、私たちの足音に気づいたのか、

犬はゆっくりと顔を上げ、こちらを向いた。

「……リオ」

私は声をかけた。

その声は、震えていたかもしれない。

祈るように、すがるように、名前を呼んだ。

次の瞬間だった。

ガリガリに痩せた体が、ふらりと立ち上がった。

前足がぐらつき、うまくバランスが取れていない。

それでも──

犬は、私の方へ、

一歩、また一歩と、よろめきながら近づいてきた。

そして、私の膝の前で、そっと体を伏せた。

……鼻先が、私の手のひらに触れた。

懐かしい、あの温もり。

震えるような呼吸。

かすかに土と風の匂いを含んだ、あのリオの気配。

私は思わず、リオの名前をもう一度つぶやいた。

「……リオ……帰ってきたのか……」

犬は、小さく一度だけ「クゥン」と鳴いた。

それは、まぎれもなく──

あの子の返事だった。

後ろで、美咲が泣いていた。

和子も、両手を口に当てて嗚咽をこらえていた。

でも私は、泣かなかった。

ただ、リオの体を静かに抱きしめながら、

「もういい、もう大丈夫だよ」と、何度も何度もささやき続けた。

その声が、あの子に届いていたかどうかは分からない。

でも、確かにリオは、私たちのもとへ帰ってきた。

──何年もかけて、誰に見つけられなくても、

自分の力で、家族のそばまで戻ってきたのだ。

リオは、私たちのもとへ帰ってきた

🐾第6章

:変わり果てた姿の奥に、変わらぬ“あの子”がいた

=============================

リオが、我が家に帰ってきた。

正式に「リオだ」と誰が断言したわけでもない。

だが、私たちには分かった。

手のひらに触れた鼻先のぬくもり、声に反応したあの一歩。

家族それぞれの胸の中に、確かな“再会の確信”が芽生えていた。

和子が静かに言った。

「体を洗ってあげよう。少しでも、あの子が楽になるように」

その言葉にうなずいた美咲と航太が、そっとバケツを用意し、古いタオルを取り出す。

リオは逃げようとはせず、まるで自分の役目を知っているかのように、大人しく座っていた。

毛はぼさぼさで、硬くなっていた。

身体は骨ばり、あばらがくっきりと浮き出ていた。

前足の肉球はひび割れており、爪も不自然に削れていた。

それでも、目だけは──

ただひたすらにやさしく、まっすぐに私たちを見つめていた。

「ごめんな、こんなになるまで……気づいてやれなくて……」

私は思わず声を詰まらせた。

見えない私の手に、そっと鼻先を寄せてきたリオ。

その仕草は、何年も前とまったく同じだった。

しばらくして、リオは仮設住宅の一室で寝起きするようになった。

家族が交代で世話をし、航太が毎朝リオのために小さな布団を直していた。

美咲は毎晩、日記のようにリオの変化を書きとめていた。

「今日は鼻が少し濡れていた」

「昨日よりもしっぽの振りが大きかった」

そんな小さな記録が、私たちの喜びになっていた。

和子は、リオの食事にいつも温かいスープをつけてくれた。

祖母は、あの子のそばでお経を唱えるようになった。

「もう、どこにも行かなくていいよ」と、毎日声をかけながら。

祖父は、庭の片隅にリオ専用のスペースをつくってくれた。

わずかばかりの土を掘り、日当たりのいい場所に敷物を敷いた。

そこに座って日向ぼっこをするリオを見て、誰もが微笑んだ。

その姿は、たしかに「家族」の一員だった。

だが、同時に私たちは気づいていた。

リオの体は、限界に近づいていた。

かつてのように軽やかに歩くことはできない。

夜になると咳のような音を立てて眠り、

食事の量も日ごとに少なくなっていった。

それでも、私が声をかければ、リオは耳を動かし、

手を差し出せば、鼻先を触れてくれた。

目が見えない私にとって、それは“会話”だった。

「ただいま」

「おかえり」

「ありがとう」

「また明日も、一緒に」

言葉では交わさなくても、すべてがその手のひらから伝わってきた。

ある晩、私はリオの隣で眠った。

畳の上に布団を敷き、リオの寝息に耳を澄ませながら、目を閉じた。

真夜中、ふと気配を感じて目が覚める。

リオの息がかすかに荒くなっていた。

私はそっと体を起こし、手を伸ばした。

すると、リオはかすかに頭をもたげ、私の手のひらに頬を寄せてきた。

「……そばにいるよ。ここにいるからな」

私はそう言って、もう一度寝かせるようにゆっくりと撫でた。

そのときだった。

リオが、まるで何かを伝えようとするかのように、

一度、ぐっと力を入れて体を起こそうとした。

だが、その動きはすぐに弱まり、

あとはただ、静かに息を吐いた。

私は、その意味を悟った。

その瞬間ではなかったけれど、

私は確信していた。

リオは、もう長くはない。

私たちのもとに、

自分の力で戻ってきて、

使命を果たして──

いま、静かに眠ろうとしている。

それでも、私たちはあの子に最後まで伝えたいことがあった。

「大好きだったよ」

「帰ってきてくれてありがとう」

「ほんとうに、よくがんばったね」

リオの姿は変わり果てていた。

けれどその心には、

あのころと何も変わらぬやさしさと誇りが、

確かに生きていた。

リオの姿は変わり果てていた

🐾第7章

:家族の“ありがとう”が、リオに届いた夜

========================

「ねえ、今日の夜は、みんなで一緒に寝ようよ」

美咲がそう言ったのは、日が暮れかけた頃だった。

リオは、午前中からずっと動こうとしなかった。

水もご飯も口にせず、目を閉じたまま、ただ小さく胸を上下させている。

その姿は、あまりにも静かで、

まるで風のように、今にも消えてしまいそうだった。

「今夜が……たぶん、最後になるかもしれないわね」

和子の言葉に、誰も返事をしなかった。

けれどその沈黙が、すべてを物語っていた。

祖父が座布団を並べて、小さな円をつくる。

その真ん中に、リオのための布団が敷かれた。

家族6人が、その周りを囲むように座った。

その夜、仮設住宅の一室は、言葉のない温もりに包まれていた。

「リオ……ありがとうな」

私が最初に口を開いた。

目が見えない私にとって、あの子はただの盲導犬ではなかった。

社会との断絶、心の孤独、人としての自信──

あの子がいてくれたから、私はすべてを乗り越えてこれた。

「もう、お前がそばにいてくれるだけで、どれだけ心が救われたか……

本当に……ありがとう」

リオは目を閉じたまま、わずかにしっぽを振った。

それは、きっと返事だった。

「リオ、おかえり」

和子がそっと毛布をかけながら言った。

「ずっとずっと、帰ってくるって信じてたよ。

どこにいても、あの子は絶対、私たちを探してるって。

こんな姿になっても戻ってきてくれて……ありがとう」

その声に、祖母が続いた。

「リオ、わたしね、毎朝お経あげてたんだよ。

きっとどこかで元気にしてるって、そう信じてた。

よう帰ってきたなぁ……よぉ帰ってきたなぁ……」

年老いた声が震える。

祖母は涙をこらえきれず、そっとリオの前足をなでた。

「リオ、これ、覚えてる?」

航太がランドセルから取り出したのは、

小さなボールだった。

リオと毎朝遊んでいた、お気に入りの青いボール。

「俺さ、これ、ずっと持ってたんだ。

もし戻ってきたとき、“また遊ぼう”って言いたくて……」

航太は泣いていなかった。

ただ、ぎゅっとボールを握りしめていた。

「ごめんね、リオ。

あの日、助けられなくて……

怖くて、何もできなくて……

でも、戻ってきてくれて、本当にありがとう」

最後に、美咲が言った。

「私ね、ずっと夢を見てたの。

リオが、私たちを見つけて、しっぽを振って、

またパパと一緒に歩いてる夢。

それが現実になって、ほんとに、うれしかった」

美咲は、リオの顔の横にそっと顔を寄せて言った。

「もう、無理しないでいいよ。

ゆっくり、眠っていいからね」

家族の言葉が、静かに部屋に溶けていった。

あたたかな沈黙の中、リオは小さく息を吸った。

それは、とても細く、そして深い呼吸だった。

私は、そっとリオの体に手を置いた。

その温もりはまだ、確かにそこにあった。

「リオ、ありがとう……本当に、ありがとう……」

そうささやいた瞬間、

リオの体が、わずかに震えた。

まるで最後の力を振り絞るかのように、

一度だけ、大きく息を吐いた。

──それが、リオの最後の呼吸だった。

「……あ……」

誰かが声をあげた。

けれど、その声はすぐに消えた。

家族全員が、涙をこらえながら、

ただ、リオを静かに見守っていた。

その小さな体から、命の気配が消えていく。

でも不思議と、部屋は寒くなかった。

むしろ、あたたかい空気が、そこに満ちていた。

やさしさ、ありがとう、そして、さようなら──

そのすべてが、言葉にならずに、空気に満ちていた。

リオがいなくなったその夜、

私は夢を見た。

暗い夜道を、白杖で歩いていると、

どこからか、足音が近づいてくる。

あの、懐かしいリズムの足音。

振り返ると、そこにリオがいた。

光の中で、昔と同じ姿で、しっぽを振っていた。

「行こうよ」

リオが、まるでそう言うように私のそばに立った。

私は静かにうなずいた。

そして、並んで歩き出した──夢の中で。

リオがいなくなった

🐾第8章

:父の静かな旅立ちと、“そのあとの朝”

=======================

リオが旅立った次の日の朝、

仮設住宅の空は、嘘のように晴れていた。

昨夜まで降っていた雨が止み、

空気にはどこか、あの子の気配がまだ残っているようだった。

布団の上に横たえたリオの体は、すでに冷たくなっていた。

でも、触れるたびに、あの子のぬくもりが蘇る気がした。

「ありがとう、リオ」

美咲がそっと毛布をかけると、航太が手を合わせた。

祖母は黙ってお経を唱え、祖父は涙を見せずに、ただ座っていた。

私は、昨夜からリオのそばを離れずにいた。

まるで、自分の一部がそこに置かれているようで、離れることができなかった。

和子が静かに言った。

「……お父さん、そろそろ布団に戻らない? 体が冷えるわ」

だが、私は首を振った。

「ここでいい。あの子の隣にいる」

昼が近づくにつれて、体の芯に冷えがたまってきた。

でも、不思議と苦しくはなかった。

むしろ、静かな喜びのようなものが、胸の中にゆっくりと満ちていた。

私は、目を閉じた。

そして、夢を見た。

それは──

昨夜と同じ、リオが隣を歩いている夢だった。

白杖はもういらなかった。

私は、自分の足でしっかりと歩いていた。

リオが前を歩いては、時折振り返って私を見る。

「大丈夫?」とでも言いたげに。

私は「大丈夫だよ」と返す。

その夢の中で、風は穏やかに吹いていて、

どこまでも道が続いていた。

リオと私の影が、長く地面に伸びていく。

どこまでも、どこまでも、ふたりで歩いていった──

和子が私を見つけたとき、私は穏やかな顔で座っていたという。

まるで眠るように。

リオの体のそばに寄り添うように、静かに息を引き取っていた。

「まるで、リオのあとを追いかけるみたいに……」

美咲がそうつぶやいたとき、

家族の誰もが涙を流した。

けれど、それは“悲しい涙”ではなかった。

「よかったね、お父さん……リオと一緒にいられて」

「また、二人で歩いてるんだよね」

「リオが、迎えに来てくれたんだよ、きっと」

そんな言葉が、あたたかく部屋を包んだ。

人は、こんなにも静かに、穏やかに旅立てるのか。

家族の誰もが、そう思ったという。

私がいた場所には、

リオと並ぶように小さな花が一輪、置かれていた。

祖母が言った。

「不思議だねぇ……さっきまで咲いてなかったのに」

それは、春を告げる白い花だった。

まるで、リオが道しるべのように咲かせてくれたかのようだった。

それから数日後、

私とリオは、並んで小さなお墓に眠ることになった。

仮設住宅の裏手、

空き地の隅にある、桜の木のそば。

花が咲くたびに、

子どもたちがそこに立ち、手を合わせるようになった。

「お父さんとリオ、見ててくれてるかな」

「きっと笑ってるよ。ほら、風が吹いた」

「リオのしっぽみたい」

そんな会話が、春の空気と一緒に流れていった。

誰かがいなくなるということは、

その人が消えることではなかった。

その人が残した時間が、

言葉が、あたたかさが、

家族の中に、ちゃんと生き続けていた。

「……ありがとう、お父さん」

「ありがとう、リオ」

家族の声が、空に溶けていく。

そして──

その日、初めて気づいたことがある。

リオが最期に眠った場所に、

ふたつ並んだ足跡が、かすかに残っていた。

ひとつは、あの子のもの。

もうひとつは、私のものだった。

消えかけたその足跡が、

確かに、しっかりと寄り添っていた。

「ありがとう、リオ」

🐾第9章

:子どもたちが受け取った“最後の贈りもの”

=========================

リオと父が、並んで旅立ってから──

季節は、ゆっくりと春から夏へと移り変わっていった。

仮設住宅の空には、今日も優しい風が吹いていた。

桜の木の下、ふたつ並んだ墓標には、

近所の人が置いてくれた小さな花束がそっと添えられていた。

航太は、毎朝その前に立って手を合わせていた。

「お父さん、リオ……今日もちゃんと起きたよ」

それは、まるで“行ってきます”のあいさつのようだった。

美咲は、日記帳の最後のページに、こう書いた。

「命って、終わるものじゃない。

続いていくものなんだと思う。

リオがそうだった。

お父さんも、そうだった。

私たちの中で、ずっと、生きてる」

あの夜を境に、

家の空気は少しだけ変わった。

寂しさが消えることはなかった。

けれど、それ以上に“あたたかさ”が心に残っていた。

祖母は、毎朝小さなお供えを欠かさなくなった。

「今日はこのあいだ収穫したインゲン。リオ、食べられるかい?」

そんな風に語りかけながら。

祖父は、庭の手入れをいつも以上に丁寧にするようになった。

「リオがここでよく昼寝してたなぁ」

そう言いながら、草をむしり、土をならしていた。

和子は、たまに一人で縁側に座って、そっと目を閉じていた。

「あなたたち、ほんとによくがんばったわね」

その言葉が、誰に向けたものなのか、私たちはみんな分かっていた。

そして子どもたちも──

それぞれの胸の中に、受け取った“贈りもの”を大切に抱いていた。

ある日、美咲が進路の話を切り出した。

「ねぇ、私……将来、盲導犬の訓練士になりたい」

突然の告白に、家族は一瞬驚いた。

だが、それは彼女の中でずっと温めていた想いだった。

「リオがいたから、私は強くなれた。

あの子が、どれだけお父さんを支えてたか、間近で見てきたから」

美咲の目は、涙で濡れていた。

でも、そこには揺るぎない決意の光も宿っていた。

和子がそっと彼女の背を撫でた。

「リオも、お父さんも、きっと喜ぶわ」

航太もまた、小さな夢を描いていた。

「俺さ、動物のお医者さんになりたい。

弱ってる子を助けてあげられる人になりたいんだ」

二人の言葉に、家族は静かにうなずいた。

そう、リオとお父さんが残してくれたものは、

“優しさ”というかたちをとって、

次の世代へと受け継がれていこうとしていた。

日が落ちる頃、

仮設住宅の裏手、桜の木のそばに、

美咲と航太の姿があった。

ふたつの墓標に向かって、

それぞれの手紙をそっと置いた。

「ありがとう、リオ」

「ありがとう、お父さん」

──そして、もうひとつ。

「行ってきます。またね」

風がやさしく吹いた。

葉が揺れ、枝がささやく。

まるでリオが、

「いってらっしゃい」と返しているようだった。

その夜、美咲は夢を見た。

草原を歩くお父さんとリオの姿。

お父さんは、杖を使っていなかった。

まっすぐな足取りで、リオと並んで歩いていた。

風が吹いて、草が揺れた。

ふたりの姿は、どこかへ向かっている。

でも──

その後ろ姿が、とても幸せそうだった。

目が覚めたとき、

美咲は静かにほほえんだ。

「うん、大丈夫。ちゃんと届いたよ」

そうつぶやいて、カーテンを開ける。

朝の光が、やさしく部屋を照らしていた。

ふたりの姿は、どこかへ向かっている。

🐾第10章

:リオとお父さんが教えてくれた“歩く力”

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人は、生きている限り、歩き続けなければならない。

それがどんなにゆっくりでも、

たとえ足元が見えなくても──

前に進もうとするその気持ちこそが、人生を動かしていく。

リオとお父さんは、それを私たちに教えてくれた。

お父さんが視力を失ったとき、

家族はみな、不安と恐れに包まれていた。

これからどう生きていくのか。

どこへ向かえばいいのか。

どれだけ努力しても、見えない壁があるようで、

何もかもが怖かった。

けれど、リオが家族になってから、

少しずつ、風向きが変わっていった。

リオは、ただ歩くだけじゃなかった。

お父さんと、共に歩いた。

つまづきそうになったときは、その歩みを止めて。

人ごみに迷いそうになったときは、静かに方向を変えて。

何より、どんなときも「隣にいるよ」と伝え続けてくれた。

私たちは、その背中に何度も励まされた。

「見えないものを、信じていいんだ」

「誰かが隣にいてくれるだけで、人は強くなれる」

リオとお父さんが過ごした日々は、

私たちの中に、“歩く力”を芽生えさせてくれた。

震災がすべてを奪っていったとき──

正直、私はもう前を向ける気がしなかった。

でも、数年後、

あのぼろぼろの姿で戻ってきたリオが、

すべてを思い出させてくれた。

「どんな姿になっても、あきらめない」

「時間がかかっても、帰るべき場所へ向かう」

「何より、“信じる気持ち”を忘れない」

それは、言葉ではない、生き方そのものだった。

お父さんも、最期の最期まで、

リオとともに、家族を守ろうとしてくれた。

誰に気づかれなくても、

ただ静かに、そばにいてくれた。

その姿に、私は何度も心を動かされた。

目が見えなくても、

心は、見える。

道がなくても、

一歩ずつ進めば、それは「道になる」。

リオとお父さんが私たちに教えてくれたのは、

そういう“生き方の芯”だった。

あれから時間が経ち、

私たちは少しずつ新しい日常を取り戻している。

仮設住宅から、少し離れた町に引っ越し、

新しい住まいの玄関には、ふたつの写真が並んでいる。

ひとつは、満面の笑みを浮かべたお父さんと、

堂々と胸を張るリオのツーショット。

もうひとつは、最後にみんなで過ごしたあの夜、

リオを囲んで手を重ねた、家族全員の写真。

どちらも、色あせることのない、かけがえのない宝物だ。

祖母は今も、「いってきます」と言って花に水をやる。

祖父は毎朝、庭の土を撫でてから一日を始める。

和子は、リビングの棚に飾られたリオの首輪を、

ときどき手に取って静かに微笑んでいる。

そして、美咲と航太は──

それぞれの夢に向かって、しっかりと歩き出した。

つまずく日もある。

涙が止まらない日もある。

でも、彼らは知っている。

「どんなときも、歩いていけばいい」

「自分の歩幅で、自分の道を」

それが、リオとお父さんが教えてくれたことだから。

ふとした風の中に、リオの気配を感じるときがある。

白杖の音のリズムの中に、お父さんの背中を思い出すときがある。

そんなとき、私はそっと心の中でつぶやく。

「今日もちゃんと歩いてるよ」

「大丈夫。ちゃんと前を向いてるよ」

リオ、お父さん──

ふたりがくれた“歩く力”は、

これからも、私たちの中で生きていく。

そして、きっといつか。

この“歩く力”が、

誰かの心を支える日がくる。

そう信じて、私はまた一歩を踏み出す。

「自分の歩幅で、自分の道を」

🐾あとがき

:「姿は消えても、絆は消えない」

====================

最後までこの物語を読んでくださり、ありがとうございました。

盲導犬リオと、その家族、そしてお父さんの物語は、

一見すると「別れ」の連続のように思えるかもしれません。

震災によって引き裂かれ、

命の限りを尽くして再会し、

再び静かに、この世を旅立っていく──

けれど、それは決して「喪失」だけの物語ではありませんでした。

リオが教えてくれたこと。

お父さんが背中で伝えてくれたこと。

それは、「本当の絆とは、姿が見えなくなっても消えない」ということです。

家族の中で、

心の中で、

そして、生き方の中で、

ふたりはずっと、生き続けています。

人は、誰かと深くつながったとき、

そのぬくもりをずっと忘れません。

声が聞こえなくても、

姿が見えなくても、

ふとした風の音や、草の匂いや、静けさの中に、

その存在を感じることがあります。

それは、きっと「本物の絆」だからです。

リオが、あの小さな体で教えてくれたこと。

お父さんが、見えない道を歩きながら信じ続けたこと。

そのすべてが、

いま、この物語を読んでくださったあなたにも、

静かに伝わっていたなら──

私たちが綴ったこの物語は、

きっと「生きた」と言えるのだと思います。

どんなに先が見えなくても、

どんなに傷ついても、

誰かと心をつなぎながら歩いていけば、

またきっと“帰ってこられる”日がくる。

この物語が、

あなたの心のどこかに、

小さな“灯り”として残ってくれたなら、

それ以上に嬉しいことはありません。

最後にもう一度だけ、リオに言わせてください。

「一緒に歩いてくれて、ありがとう」

そして、お父さんにも。

「信じてくれて、ありがとう」

この世界に、

あなたという誰かがいてくれることに、

静かな感謝を込めて──

心より、ありがとうございました。

「一緒に歩いてくれて、ありがとう」
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サイレントヒーローズ「佐伯 啓介」
ゆるっと動画部屋
法人17年目のしぶとい社長です。気づきと学びをポロポロ落とすチャンネル。拾うも自由、スルーも自由。でも見てくれたら本当に嬉しい。
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