百日せき過去最多のなぜ。見過ごされた“ワクチンの隙間”と耐性菌の脅威
2025年、日本の百日せき報告数が、観測史上最多を更新し続けているという異常事態に直面しています。多くの人が「子どもの頃にかかる、咳が長く続く病気」という程度の認識かもしれませんが、今回の流行は様相が全く異なります。
これは単なる季節的な流行ではありません。私たちの社会構造や医療体制に潜む「見過ごされた課題」が、何層にも重なって顕在化した結果なのです。
なぜ今、これほどまでに百日せきが猛威を振るっているのか?その背景には、個人の免疫力の問題から、感染拡大の主役の変化、そして薬が効かない「耐性菌」の出現という、3つの深刻な要因が隠されています。本記事では、この歴史的な流行の深層を徹底的に解き明かしていきます。
原因1:消えゆく免疫「Waning Immunity」の罠
多くの人が、子どもの頃に受けた予防接種(四種混合ワクチンなど)によって、百日せきに対する免疫は一生続くと考えているかもしれません。しかし、それが第一の「罠」です。
百日せきワクチンの効果は、残念ながら永続的ではありません。研究によれば、最後の接種から4年〜12年ほどで免疫効果は徐々に弱まっていくとされています。これを専門用語で「Waning Immunity(減衰する免疫)」と呼びます。
つまり、定期接種を終えた学童期以降の子どもたち、そして私たち大人の多くは、百日せき菌に対する十分な防御力がない“無防備”な状態になっているのです。症状が比較的軽い大人が感染に気づかないまま、家庭や職場でウイルスを拡散させる。これが、現在の流行のベースにある大きな要因です。私たちは知らず知らずのうちに、「ワクチンの隙間」世代となり、感染の連鎖の一部を担っている可能性があるのです。
原因2:感染爆発の主役は「10代」という不都合な真実
今回の流行で最も深刻なのは、感染の中心が変化している点です。国立感染症研究所が発表した最新のデータは、私たちに不都合な真実を突きつけています。現在の百日せき感染報告において、最も多い年齢層は「10代」なのです。
彼らは、まさに「Waning Immunity」によって免疫が低下し始めた世代です。体力があるため、感染しても典型的な激しい咳発作(レプリーゼ)に至らず、「少し長引く風邪」程度の軽い症状で済んでしまうケースが少なくありません。
問題は、彼らが症状を軽視し、学校や塾、部活動といった集団生活を普段通りに送ってしまうことです。これにより、彼らは感染を爆発的に広げる、極めて効率的な「サイレント・スプレッダー(静かなる感染拡大者)」となってしまっています。そして、その感染の連鎖の先にいるのが、まだワクチンを接種できない、あるいは接種を終えていない生後6ヶ月未満の乳児たちです。大人にとっては「しつこい咳」でも、赤ちゃんにとっては無呼吸発作や脳症を引き起こす、命に関わる“死に至る咳”となり得るのです。
原因3:忍び寄る「スーパー百日咳菌」の脅威
そして、水面下でさらに深刻な脅威が進行しています。それが、従来の抗菌薬が効きにくい「マクロライド耐性百日咳菌」の出現です。
通常、百日せきはマクロライド系の抗菌薬で治療されますが、この薬に対して耐性を持ってしまった菌が世界的に報告されるようになりました。そして、この耐性菌はすでに日本国内でも確認されています。
現時点では、耐性菌の割合はまだ高くありません。しかし、このまま感染拡大が続けば、耐性菌が広がるリスクは確実に高まります。そうなれば、治療はより困難になり、重症化する患者が増える恐れがあります。私たちが今直面している流行は、将来的に「薬が効かない百日せき」が蔓延する未来への警告でもあるのです。
私たちに求められる対策は何か?
この複雑な問題を前に、私たちは何をすべきなのでしょうか。対策は、個人のレベルと社会のレベルの両方で考える必要があります。
まず個人でできる最も有効な対策は、大人のワクチン追加接種です。特に、妊娠を希望する女性や、妊婦、そして乳児の周りにいる家族(両親、祖父母、兄弟)が追加接種を検討することが強く推奨されます。大人がワクチンを打つことで自らの感染を防ぐだけでなく、社会で最も弱い立場にある赤ちゃんを守るための「壁」となることができるのです。(※任意接種となり、費用は自己負担です。かかりつけ医にご相談ください)
そして社会全体としては、現在のワクチン戦略そのものを見直す時期に来ているのかもしれません。例えば、免疫が低下する思春期(11〜12歳頃)に、定期接種として追加のワクチン接種(ブースター接種)を行うといった、新たなプログラムの導入を検討すべきとの声が専門家の間でも上がっています。
まとめ:自分ごととして捉え、賢い選択を
今回の百日せき過去最多という事態は、単なる一過性の流行ではありません。その背景には、ワクチンの効果が時間とともに薄れるという生物学的な事実と、それに対応しきれていない現代社会の構造的な課題が横たわっています。
- ワクチンの隙間: 子どもの頃の予防接種の効果は永続的ではなく、多くの大人は免疫が低下している。
- 静かなる感染拡大: 流行の主役は軽症で済むことが多い10代で、無自覚に感染を広げている。
- 赤ちゃんへのリスク: 大人の「しつこい咳」が、乳児にとっては命を脅かす危険な病気である。
- 耐性菌の脅威: 水面下では薬が効きにくい「スーパー百日咳菌」も出現し始めている。
- 大人の追加接種: 個人ができる最も有効な対策は、ワクチンを追加で接種し、社会の「免疫の壁」を厚くすること。
長引く咳を「いつものこと」と軽視せず、今回の流行を「自分ごと」として捉えることが重要です。そして、自分と、自分の大切な人を守るために、今何ができるのかを考え、賢い選択をすることが、私たち一人ひとりに求められています。
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