耳にこびりつく「あの言葉」の正体
こんにちは、あやかです。
うちのK子さん、本当に「良かれと思って」色々なことを言ってくれるんですけど、
その「良かれと思って」の裏に隠された、とある口癖があるんです。
聞くたびに、私の心がざわつく、あの言葉。
それは、K子さんが何かをするとき、何かをしてくれた後に必ず言うんです。
「せっかくしてあげたのに」
「私が〇〇してあげたんだから」
最初は、正直、そこまで気にしてませんでした。
「ああ、お礼を言われたいのかな」くらいに思ってたんです。
でも、それが積み重なると、だんだん、じわじわと心の奥に染みついてくるんです。
例えば、この前もそう。
私が仕事で締め切りに追われてる時、K子さんが突然、冷凍庫いっぱいの手作りおかずを持ってきてくれました。
「あやかちゃん、忙しいでしょ? せっかく私が作ってあげたんだから、温めるだけでいいようにしておいたわよ!」
ありがたい、はずなんです。
でも、その言葉を聞いた瞬間、一気にプレッシャーがのしかかる。
「私がこんなに気を利かせてあげたんだから、あなたはちゃんと感謝しなさいよ」って言われてるみたいで。
しかも、そのおかずをすぐに消費しないと、「せっかく作ってあげたのに、食べてないじゃない!」って言われそう、とまで考えてしまうんです。
別の日には、私が夫と出かける準備をしている時。
「あら、その服、地味じゃない? 私が買ってあげたあのスカート、せっかくあるんだから履いていけばいいのに」
これもまた、善意の押し付け。
K子さんが選んでくれた服は、私の好みとちょっと違うことも多いんです。
でも、「せっかく買ってあげたのに」という言葉が聞こえてきそうで、
結局、着たくない服を選んでしまうこともある。
これらの言葉の裏には、K子さんの「私があなたを助けてあげている」「私があなたを導いてあげている」という気持ちが透けて見えるんです。
悪気がないのは本当にわかる。
彼女にとっては、純粋な親切心なのかもしれない。
でも、私からすると、その言葉は感謝を強要する鎖のように感じられるんです。
「あなたは私の厚意に報いるべきだ」と、無言の圧力をかけられているような。
夫に「K子さんの『せっかく』が気になる」と伝えたら、
「母さんは、あやかちゃんのことを思って言ってるんだから」と、また例のセリフ。
分かってくれない現実に、また一つ、ため息。
この口癖は、まるで小さなトゲのように、私の心に刺さっています。
K子さんの行動のすべてに、「恩着せがましい」というフィルターをかけてしまう自分がいます。
この「せっかくしてあげたのに」の呪縛から、私はいつか解放される日は来るのでしょうか。
今日もまた、私の耳に、あの言葉がこびりついて離れません。
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