逃げ腰の夫と、私の届かないSOS
K子さんとの間に感じるモヤモヤや、積もり積もっていく小さな不満。それを一番分かってほしいのは、やっぱり夫です。彼がK子さんと私の間に立って、うまく間を取り持ってくれたら…そんな淡い期待を抱いて、私は時々、夫に話を切り出そうとします。でも、その度にぶつかるのは、彼のなんとも言えない「逃げ腰」な態度なんです。
「またその話?」な空気と、夫のため息
「ねぇ、この前のK子さんのことなんだけど…」私が口火を切ろうとすると、夫の顔に一瞬で分かりやすい変化が表れます。眉間にシワが寄ったり、視線が泳いだり、あるいは小さなため息をついたり。その空気を感じると、私の心はすでにトーンダウン。まるで、「またその話か、面倒だな」とでも言われているようで、話す前から疲れてしまうんです。
ある日、K子さんからの過度な干渉について夫に相談しようとした時のことです。私が「K子さんが最近また…」と話し始めたら、夫はスマホから目を離さず、「うん」とだけ。私が少し詳しく話し続けると、やがて彼はスマホを置いて、こう言いました。「あやか、また母さんの文句?」
その言葉に、私は凍りつきました。「文句」じゃない。私が感じているストレスや困惑を、ただ分かってほしいだけなのに。私の訴えは、彼にとっては単なる「母親への愚痴」としてしか受け取められていない。その現実に、絶望にも似た気持ちを覚えました。
問題を直視しない夫の「平和主義」
夫が K子さんのことになると逃げ腰になるのは、彼なりの「平和主義」があるからだと思います。母親と妻、どちらとも波風を立てたくない。板挟みになりたくない。その気持ちは分からなくもないんです。でも、その平和主義が、結果的に私のSOSを見過ごし、K子さんの行動を黙認することにつながっていると感じてしまうんです。
私が「K子さんにこう言われたのが嫌だった」と具体的に伝えても、夫は「まぁ、母さんも悪気があるわけじゃないから、気にしなくていいよ」と、結局はうやむやにしようとします。まるで、私が我慢すれば全てが丸く収まる、と言われているみたいで。私の気持ちをK子さんに伝えてほしいわけじゃない。ただ、「そうだね、それは大変だったね」と、共感して、私の気持ちに寄り添ってほしいだけなのに。それが、なぜこんなにも難しいのでしょう。
私が一人で抱え込むしかないのか
夫が逃げ腰になることで、私はだんだんと K子さんに関する悩みを彼に話すのを躊躇するようになりました。どうせ「またその話?」と面倒くさがられるか、「悪気はないから」で片付けられてしまうのなら、話すだけ無駄だと思ってしまうからです。結果として、K子さんとの関係で生じるモヤモヤは、全て私一人で抱え込むことになっています。
家族である夫にすら、この心の重さを共有できない現実。それが、嫁姑問題そのものと同じくらい、私の心を深く傷つけています。私のSOSは、いつか夫に届くのでしょうか。それとも、私はこの孤独な戦いを、ずっと一人で続けていかなければならないのでしょうか。
まだコメントはありません。最初のコメントを書いてみませんか?
コメントを投稿するには、ログインする必要があります。