雪の日と黒玄米。
昨日は、ひどく冷え込んでいた。
窓の外では、湿った重たい雪。
世間では「歴史が変わる」だの「審判の日」だのと騒がしいけれど、私には、ただの「外に出るのが億劫な日曜日」でしかない。
昼過ぎ、お友達が遊びに来てくれた。
彼女が手土産に持ってきてくれたのは、麻布の「黒シャリ玄米」。
私は、あらかじめ仕込んでおいた和惣菜をいくつか、お気に入りのプレートに並べて彼女といただいた。
小松菜の煮浸し、柚子が香る大根のなます、それから少し贅沢な出汁で炊いた根菜たち。
派手さはないけれど、自分のためだけに研ぎ澄ませた「ご褒美」。
「ねえ、今日って選挙だっけ」
彼女が、黒シャリを口に運びながら、心底どうでもよさそうな顔で訊いてくる。
「らしいよ。外はあんなに雪なのに、みんな大変ね。そんなものより尊いものってたくさんあるのにね。」
私たちは、それから選挙の話なんて一瞬で忘れて、近況や、最近ハマっていること、それから「私たちの意見がいかに軽んじられているか」という、この国で最も政治的な議論に花を咲かせた。
私たちにとって選挙なんかよりも、日本の未来よりもずっとずっと価値があるもの。
古臭くて垢抜けなくて洗練されてない税金の無駄としか思えない祭りとなんて比べられない。
「日本を良くする」なんていう使い古された欺瞞に、私たちの貴重な時間を搾取されてたまるか。
夕方、彼女が帰ったあとの静かな部屋で、私は何気なくテレビをつけた。
画面の中では、いつの間にか「歴史的瞬間」が始まっていた。
開票速報。当選確実のバラをボードに刺しては、これ以上ないほど下品な笑顔を浮かべる男たち。
そして、その中心にいるのは、あの女性総理。
あの下賤な儀式を、彼らはいつまで「勝利の象徴」として使い続けるつもりなのかね。
21世紀も四半世紀を過ぎたというのに、画面から漂ってくるのは、カビの生えた「昭和」の残臭ばかり。
生理的に、受け付けない。
初の女性総理だからなに?
彼女がどれほど優秀だとしても、結局はその強権的な男性的ロジックを再生産することでしか、あの界隈では生き残れない。
彼女を「希望」だと持ち上げる大衆も、彼女の後ろを「残念様」な面面で付いて回る女性議員たちも、結局は家父長制という巨大なシステムの一部でしかない。
彼女たちは、自分が磨き上げているのが「自分のための階段」ではなく、「男たちのための踏み台」であることに、いつ気づくの?
あるいは、気づいた上で、その「名誉男性」としての椅子を必死に守っているのか。
どちらにせよ、救いようがない。
彼らが国会でなにを議論しようが、私の何かを彼らが保証してくれるわけじゃない。
この国は、いつだって私たちに「責任」や「負担」を押し付けるけれど、私たちが本当に必要としている「精神の自由」には、一瞥もくれない。
シンクに溜まった器をゆっくりと洗う。
お湯の温かさが、指先から伝わってくる。これが私の「現実」。
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