優しい声が、私には向けられない
最近、夫に感じるのは、K子さんの前でと、私の前とでは、全く違う顔を見せているということ。K子さんには決して見せない、彼の冷たい一面を目撃するたびに、私は自分の心がぎゅっと締め付けられるのを感じます。
優しい声が、私には向けられない
K子さんから夫に電話がかかってくると、夫の声色は明らかに変わります。
「うん、うん、分かったよ、母さん」「そうなんだ、大変だったね」
まるで、K子さんが世界で一番可哀想な人であるかのように、優しく、そして丁寧に相槌を打つんです。K子さんから「最近、隣の〇〇さんの家の犬がうるさくて」といった愚痴を聞かされても、夫は決して「それは仕方ないよ」などと否定しません。ただひたすらに、 K子さんの気持ちに寄り添い、共感を示すんです。
私は、その優しい声を聞くたびに、なんとも言えない寂しさを覚えます。
なぜなら、その優しい声が、私には滅多に向けられないからです。
「大丈夫だよ」で片付けられる私の感情
私がK子さんの言葉に傷つき、夫に相談しようとすると、彼の態度は一変します。
「ねぇ、この前K子さんに言われた言葉が、なんだか引っかかってて…」
そう切り出す私に、夫はスマホから顔を上げることなく、「大丈夫だよ」とだけ言う。
「大丈夫だよって、何が? 私の気持ちは大丈夫じゃないんだけど」
そう反論しても、彼は面倒くさそうに「母さん、悪気はないからさ」と、私の感情を軽んじる言葉を繰り返すばかり。
夫にとって、K子さんの感情は、どんな些細なことでも最優先で寄り添うべき「大切」なもので、一方で、私の感情は「悪気はないから」という言葉で簡単に片付けていい「どうでもいい」ものなのかもしれない。そう思ってしまうほど、二人の態度には大きな差があるんです。
守られるべきは、誰との平和?
夫が K子さんには絶対に反論せず、優しく接するのは、きっと彼なりの**「平和」を守るための行動**なのだと思います。K子さんとの間に波風を立てたくない。板挟みになりたくない。その気持ちは分かります。
でも、夫が K子さんの「平和」を守ろうとすればするほど、私たち夫婦の間の「平和」は崩れていくような気がしてならないんです。夫は、K子さんの感情は守るべきものだと考え、私自身の感情は、多少犠牲になっても構わないと、無意識に判断しているのではないか。
夫にとって、母親との円満な関係は、私との円満な関係よりも大切なのでしょうか。その答えを口に出して聞くことはできません。でも、彼の二つの顔が、その答えを雄弁に物語っているように感じられて、私はただ、胸の奥が痛むばかりです。
今日もまた、夫の優しい声が、K子さんの愚痴に静かに寄り添っています。その声が、私に向けられることはない。この孤独を、私はいつまで抱え続けるのでしょうか。
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