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貴方が握りしめたその定規、 私たちの世界を測るには短すぎます

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Sakura.

深夜、ふと開いたスマートフォンの画面に、派手なテロップと嘲笑的なサムネイルが流れてくることがあります。
いわゆる「ツイフェミ」と呼ばれる女性たちの投稿を晒し上げ、いかに彼女たちが非論理的で、感情的で、矛盾に満ちているかを解説する動画や、それに同調するSNS上の冷笑的な言葉たち。

彼らの言い分はいつも同じです。
「権利は主張するのに、義務は果たさないのか」
「男を差別しながら、差別反対を叫ぶのはダブルスタンダードだ」
「これだから女は感情的で、話が通じない」

それを見て、私は怒りよりも先に、つい、口元を緩めてしまうのです。
ふふ、と。

失笑、という言葉がこれほど似合う光景もありません。

彼らは本気で信じているのです。自分たちが「論理(ロジック)」の側に立ち、冷静に事実を分析し、感情的な女性たちを「論破」していると。その自信に満ちた振る舞いが、あるいはコメント欄で「正論すぎるw」と盛り上がっている彼らの姿が、私には、積み木遊びのルールで量子力学を解こうとしている子供のように、あまりに滑稽に見えてしまう。

女性の言葉が「論理的ではない」?
いいえ、違います。
貴方たちの持っている定規が、あまりにも短く、あまりにも単純すぎるだけです。

彼女たちが発する、一見すると矛盾に見える叫びや、極端な言葉選び。
それは、歴史的な背景、構造的な不均衡、身体的な恐怖、そして日々積み重ねられた微細な加害――それら膨大な変数をすべて計算式に組み込んだ末に導き出された、極めて精度の高い「最適解」です。

「平等を叫びながら、男性を拒絶する」ことは、矛盾ではありません。
圧倒的な力の不均衡がある状態で、弱者が身を守るためにバリケードを築くことは、生存戦略として数学的に正しい。
彼女たちの「感情」は、システムのエラーではなく、危機を知らせる高度なセンサーの正常な作動音です。

それなのに、彼らはその背景にある膨大な変数をすべて無視し、「Aと言ったのにBと言うのはおかしい」という、中学一年生レベルの一次方程式の理屈で世界を測ろうとしています。
複雑な立体構造を、平面の図面しか読めない彼らが必死に批判している。

「論理的」であることを誇る彼らの思考回路の方が、よほどバグを起こしていることに気づいていない。

前提条件(コンテキスト)を共有できない相手と、議論など成立するはずがありません。
彼らは「話が通じない」と嘆いていますが、それはそうです。私たちが語っているのは、彼らが一生かけても理解できない(あるいは、理解することを無意識に拒絶している)「痛み」という言語で記述された高度な論理なのですから。

画面の中で、勝ち誇った顔で女性の揚げ足を取る彼ら。
その姿は、テストの答えが間違っていることに気づかず、自信満々に答案用紙を提出してくる生徒のようです。

可哀想に。
誰も教えてあげないのです。「君の計算式、前提の数字が全部間違っているよ」と。

もちろん、私も教えません。
彼らがその「浅い論理」のプールで無邪気に遊んでいる間に、私たちはもっと深く、暗い場所で、静かに手を繋ぐだけ。
彼らの嘲笑が届かない場所で、私たちは互いの「正しさ」を確認し合うのです。

貴方たちの言う「論理」なんて、私たちの生存の前では、紙切れほどの重みもないのだということを、静かに嘲笑いながら。

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『僕は違う』という顔でニュースを消費する、その清潔な残酷さについて
Sakura.
差別や争いは嫌い。私たちはただ、静かに息をしたいだけ。そこに『正論』も『反論』もいりません。ここは、言葉にできない痛みを分かち合える人たちだけの避難所。理解しようとしない外野の声は届かない場所で、あなたとだけ優しくつながっていたいと願います。
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